2014年06月14日

雨の似合う花

紫陽花ほど雨が似合う花はない。

雨が似合う花の話になれば異論もある人もいるかもしれないが、わたしは紫陽花がダントツで一番である。

太陽とまぶしい光が似合う花は多いが、雨が似合う花というのがなんとも素敵ではないですか。

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2014年05月09日

胡麻ドレッシングの効用

サニーレタスを食べていたら、赤いアブラムシが付いている。

気が付けば、箸で器用にとって食べるのであるが。

胡麻の粒粒入りドレッシングをかけたら、解らなくなるので、安心して?食べられる。

アブラムシも、毒ではないだろう。
テントウムシだって大好きなんだから。

レストラン

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2014年03月07日

ウクライナ、ルーマニア、社会主義と資本主義

五時に夢中でおなじみのティアナチカさんのブログから
あのコマネチさんで有名なルーマニアでも、社会主義の時は、みんながパンとミルクには困らなかった。
チャウシェスク政権のときのほうが良かったという人もいる。
資本主義と社会主義、どちらが良いかは、解らないが、少なくとも、社会主義では、どんなに貧しくてもすべての国民が、毎日の食事に困らなかった。
資本主義は欲望主義。資本主義は勝ち負けの世界。負けた者は飢え死にしても良いという世界。
南北問題も、解決していない。

2014年3月 6日
久しぶりですー!
ウクライナは最近すごく大変です。。
それに関して沢山書きたかったけど、
向こうのネット(yandex)でいろんなドキュメンタリーを見て,
誰が正しい、誰が間違っているのか、
全てが複雑すぎて、分からなくなりました。。。
ウクライナとロシアの問題に関して一つだけ言えるのは、
今の生活より昔のソ連の時の方が豊かだった!
残念なことに人間は欲張り、無いものねだりだから
火の鳥を追いかければ追いかけるほど
失うモノも(命)沢山出てくるのはとっても悲しいことです。

http://teana-chan-daisuki.cocolog-nifty.com/

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2014年02月13日

憲法について

総理になったのだから、何をやっても良いのだというのなら、ヒトラーとおなじである。

憲法は、一度国民がよくよく考えて、決めるのが良い。
敗戦後に、米国に押し付けられた憲法でなく、いまこそ、自分たちでよくよく考えて、自分たちで自分たちの憲法を新しく作り、それこそ国民投票で決めるべきだ。
軍事力で国を守るということは、そのまま行き着くところは核兵器の有無に直結する。また軍事力を放棄するということは、例えば近隣の国が攻め込んできても、絶対に戦わないということを貫き通して、名誉の滅亡を選ぶということである。
これを、国民の一人一人が今、熟慮しなければならない。安倍や米国に任せておいてよいことではない。

世界中には、日本より小さくて非力な国でも、近隣の大国の顔色をうかがい、屈辱的な外交にも耐えて、何とか頑張っている国はたくさんある。米国の軍事力に頼らずに、自国に誇りを持って生きていく道はいくらでもある。その場合には、もちろん不利益なこともあるだろうし屈辱的なことにも耐えなければならないし、軍事力を選ぶなら、軍事費を賄うために税金も値上げされるだろうし、徴兵制もあるだろうし、危険な兵器の開発も行うことになる。

日本人が自国に誇りを持てないのも、精神を病むのもが多いのも、自殺者が多いのも、いままでのあいまいな国家のあり方に一因がある。日本軍を自衛隊と言い、核開発を原子力と言い、売春を援助交際と言い、敗戦を終戦と言い、隷属を対等なパートナーと言い、天皇を象徴と言い、欧米に貯蓄を搾取されたのをバブルが弾けたと言い、ごまかしてあいまいにしてこんな国が自我の支えとなるわけがなく、まして誇れるわけがなく、人生の目的を失って自殺する国民が増えるのも当然である。

私は、もし、国民投票が行われたら、武力を保持しない、核兵器と核兵器技術の原発と再処理工場と、ロケット技術を放棄するということに一票を投じたい。それは、もしアメリカや中国が攻めてきて、本土に乗り込んできたとしても無抵抗のまま殺されても良いということである。インディアンやアボリジニや、世界中の滅亡させられた民族のように。名誉の滅亡を選ぶ。
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2014年01月27日

ゆるきゃら考

古代から日本人の心にある地母信仰

ゆるきゃらは、そんな信仰心の復古運動であるかもしれない。

明治維新以降、千年以上にわたって信仰の中心だった、八百の神々、その土地々々の神と信仰心が否定されて、近代的自我の幻想を追い求めて、そのうさん臭ささに無意識のうちに気が付き、幻想を追い求めるのに疲れ始めているのではないだろうか。

千の風になってと言う歌が人々の心に響いたのも、古来からの日本人の生死観にぴったり一致したからだと思う。

ゆるきゃらが、どこかかわいらしくて、滑稽なのも、日本人の好みなのである。

各地で出土する土偶、おどる埴輪、かわいらしいイノシシや鳥や馬の埴輪。

日本人は、一度見失ってしまったその村々に伝わっていた神々の代わりに、ゆるきゃらを創作したのではないだろうか。

しかし、成功しているとは思えない、役所指導型の商業ベースということも失敗の原因ではあるが、多くの人々の共同幻想を取り込むことには成功していないと思う。
人々の関心が多岐にわたり、それぞれ個人個人が、いわば自分だけの宗教を生きているような現代では、みんなが納得してシンボルだと思えるようなものは、なかなか作れないのだろう。
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2014年01月26日

言い換え

日本人は、言い換えが好きである。

核 を 原子力

日本軍 を 自衛隊

売春 を 援助交際

隷属 を 対等な同盟国

敗戦 を 終戦

まだあだあるかな。
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2014年01月24日

日本人の信仰 2

日本人の信仰が、先祖崇拝にあったとすると、もともとの信仰とは簡単に変更することはできないだろうから、今の日本人を律しようとしたら、やはり、先祖信仰を復活させることが良いと思う。復活というより再確認するというか、思い出させると言った方が正しいと思う。

明治以降の近代的自我という思い込みが、先祖崇拝に大打撃を与えてしまった。明治維新が日本を破壊してしまったと嘆く人は多いけれど、先祖崇拝への影響こそ、日本人にとって最大の悪影響だと思う。


狭い意味での先祖崇拝にとどまらずに、ずーとさかのぼって、人類全体にまで思いを馳せて、世界平和を願うようになると良いと思う。
さらには、いきとし生けるすべての生命にも思いを巡らせられると良いと思う。

日本人の信仰は、仏教も神道もから離れて、別の形になって、日本人の信仰をよみがえらせ、社会秩序の根幹にできたらよいと思う。

これこそ、日本の心の糧ではないだろうか。
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日本人の信仰

日本人の信仰形態について

ひとつの仮説。

もともとの日本人の信仰は、まず、先祖崇拝であった。
死んだ人が、霊魂だけになって、その辺にふらふらしている。いつも見守っていてくれたりする。
千の風になってと言う歌が流行ったが、日本人に昔から有ったこの信仰の純粋な形が表現されていて、たくさんの日本人の心に共鳴したのだろう。正月とお盆には、御先祖様が、家に来てくれて、一緒に過ごす。
葬儀も、遺体は、共同墓地に捨てて、位牌だけを家におまつりした。だからか仏壇に仏像が無くて位牌壇のようになっていても気にしない。ご先祖様をまつるだけで満足してしまう。お寺にお参りに行っても、本尊様とか本堂にはお参りしないで、お墓参りだけして帰ってしまう。菩提寺の宗派とか本尊が何なのかなんて、全然関心がない。神社も、為政者が無理に押し付けた信仰なので、仏教と同じような状態だと思う。
家が火事になって、一番に持ち出すものは、位牌だった。貯金通帳に取って代わったのは、最近のことである。日本人が欲望主義になってしまったことの証拠である。

日本の信仰形態は、元は先祖崇拝であった。だから、死後の世界、例えば天国とか地獄とかいう概念も育たなかった。死んでも何となく現世に留まって、正月とかお盆には、生きている人たちと楽しめる。生きている人たちにご先祖様といって大切にされるし、毎日食事ももらえるし、美味しいものはまずご先祖様がら食べさせてもらえるし。楽天的に人々は生きていたと思う。
 仏教が入ってきて、天国とか地獄とか業とかいう概念が入ってきて、人々は楽天的な思いが薄れてしまい根暗になってしまった。古事記の黄泉の国などの話も、大陸からの輸入であってもともとも日本人の生死観とは違うと思う。
地獄や業の思想が無くても、日本人は、御先祖様が見ているという実感があったから、悪事をはたらくことにブレーキがかかったと思う。ご先祖様に顔向けできない、しかも御先祖様は、村の全員とつながっている。ご先祖様のとつながっているこの世間の感覚が、人々を律していた。

仏教は、早い時期にバラモン教、ヒンドゥー教と混ざったので、一気にインドに広がった。多神教的であり、輪廻と業の思想は、世界に広く受け入れられて。仏教という形で世界に広まった。そう、世界に広がったのは、仏教という名のヒンドゥー教である。日本には、仏教も古事記も、その素朴な多神教の性格が無理なく日本人に受け入れられて、それまでの先祖崇拝と融合して、定着した。

日本人にとっては、仏教も古事記も、外から押しつけられた宗教であり、本当の信仰は先祖崇拝にあると考えるのが妥当だと思う。
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2013年12月27日

100万倍返し

宝くじと掛けて、半沢直樹ととく、

その心は。




100万倍返しだexclamation


さっ、されたい。ぴかぴか(新しい)
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2013年12月16日

国策逮捕

猪瀬は、まだ逮捕されていないが。

なぜ今、猪瀬降ろしなのかと思った。

ちょこっとネットをのぞいただけですぐにわかった。

猪瀬、噛みついちゃいました。

来年の流行語大賞は、「毒まんじゅう」で決まりだな。


猪瀬知事:都政停滞の危惧の声 5000万円提供問題で
毎日新聞 2013年12月10日 11時11分(最終更新 12月10日 11時52分)
http://mainichi.jp/select/news/20131210k0000e040137000c.html


日本経済新聞
  都知事、法人住民税の一部国税化「とんでもない話」
  2013/10/25 22:05
http://www.nikkei.com/article/DGXNZO61642590V21C13A0L83000/

IWJ Independent Web Journal
   2013/11/15 猪瀬都知事、法人住民税の一部国税化案で「これ食べちゃうと毒まんじゅうだよ」国の財政規律が緩いと噛み付く
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/111658

前大田区議会議員奈須りえ
都議会が猪瀬都知事バッシングに熱心なもう一つの理由「自民税調:法人住民税6000億円を国税化」
http://blogos.com/article/75669/


あいかわらず、霞が関のやることは。

小沢につても、無罪でしたよね。

原発が被害が大きくなった責任を菅になすりつけていましたが、原発ムラ、ようするに自民党と官僚と東電と報道が、菅にすべての責任をなすりつけました。いまだにそれを信じている人もいる。

こんな茶番が、白々しくも行われる国。

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2012年09月17日

反原発と中国デモと核兵器と、そして恒久平和

台風などは、自然災害という。人の過失に因るものは、人災という。

福島第一の事故は、人災ではあるが、さらに私は、「国災」という言葉を使いたい。

国の方針指導による電力事業、東電と東芝や日立などの企業と、製造元のアメリカの企業と、輸出国としてのアメリカと、すべてに責任がある「国災」である。

いま、中国で反日デモが行われているという報道を、NHKをはじめ、民放が、何時間にもわたって放送しているが、私はこの報道は、政府の意向によるものだと見ている。

中国、韓国、との危機を煽ることにより、より強い態度での国際手段を求める世論を形成しようとしているのではないだろうか。私たちは、そのように扇動されているのではないか。

原発は、核武装のために必要であるということを政府は認めているし、アメリカも始めからそれが目的であった。反原発の民衆の動きに水を差すために、中国のデモは利用価値がある。

政府に、中国との平和的解決の動きが、まったく見られないのも、わざわざ国有化すると表明して中国に焚き付けたのも、上記と軸を同じにしていると見える。

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では、国と国とが、今後どうしたら良いのか。
もう言い古されていることだが、「対話」しかない。

国家というものは、一人の人間と同じように、歴史を持ち、トラウマを持ち、強迫観念をもち、分裂ぎみであったりする。
男女が互いに認め合い結婚し50年連れ添ったとしても、本当に理解しあえることは無い。しかし、互いの人格を尊重し、協力し合い、争わなくて済むように生活することは出来る。

国と国との関係も、それを目指すべきである。完全に理解しあえることは不可能であるし、小さな意見のぶつかり合いはあっても、「争わないで済むように、互いを尊重しあって共存する」ことは出来るはずである。

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いま、政府が、あえて反原発の流れを変えようと、中国との関係をこじらせて、誇張して報道しているようにしか見えない。増税をし、ほとんどの公約は実現できない政治家たちが、禁じ手を行っている。

もし、本当に核兵器を否定するのであれば、今の、この世界を先に代えなければならない。強い者が弱い者から搾取する世界。勝者が敗者を奴隷のように扱える世界。強いものが弱いものを利用できる世界。
だから今、弱い国は、核兵器を持ちたがっている。強いアメリカは核兵器を持っている。日本は無条件降伏をした国であり、アメリカの傀儡、植民地であるから、中国もロシアも手を出さないだけのことである。日本の政府が核兵器を保有することを前提に原子力発電所を続けたいというのも、そういう世界の中で日本が生き延びる道はそれしかないと考えるからである。軍備を増強していって最終的には核弾頭なのである。

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私は、先ず、原子力発電所は、すぐにすべて廃炉にするべきだと思う。そして将来、世界が本当の平和に気が付いたときに、アメリカが自国内で銃を廃止することができ、宗教間の対話が進み争いが無くなり、アメリカの軍事力による世界への影響が無くなり、アジアの平和が実現し、そして初めて、日本の憲法が、正しく実現することになると思う。見果てぬ夢かもしれない。

だから、その一歩は、原子力発電所を核兵器保有のために駆動し続けるのではなく、また、中国や韓国を煽るのでもなく、廃炉と対話なのである。

いま、進むべき方向をまちがってはいけない。
本当に、進むべき一歩を、間違ってはいけない。
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2012年09月12日

秋は、深まる

冬は、厳しく

春は、麗らか

緑は、萌えて

雨は、薫り

夏は、耀き

秋は、深まる。

秋は、天高く、深まる。日々、涼しくなるなあ。日本には、季節があって良い。


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2012年09月02日

物欲の海を渡る

物を購入するという事は、非常に難しいことである。折角、大枚をはたいて買ったものでも、まったく使わずに物置にしまってあるなんてこともよくある。100円で買ったものが、1万円のものよりも、使いやすくて気に入ることもある。お金を使うと言うことは、とても難しい。

20年前に亡くなった祖母は、よくお小遣いをくれた。そのたびに、
「 有難うございます。貯金をして、必要なときに大切に使わせていただきます。」
と言うと、必ず、

「 いや、そうじゃくてね、欲しいものがあったら、これで買いなさい。食べたいものがあったら、これでお腹いっぱい食べなさい。年老いたら、好きなものを沢山食べたいなんて思わなくなってしまうのだから、若い今のうちに、欲しいものを買って、食べたいものをお腹いっぱい食べなさい。」
と言うのであった。

親戚の義兄が、ある高級車を買おうか、安い普通の自動車を買おうか、迷っているときに、私の姉は、
「 欲しいものがあるなら、それを買ったほうがいい。気に入ったものを買ったほうが良い。」と一言いい、その一言で、その義兄は、気に入った好きな自動車を買った。今では、通勤に使い、家族で出かけて、20万キロを走破したそうである。高い方を買った分の差額以上の、満足と実用と幸福とを得たことだろう。

 もちろん、高級品を買い消費することが目的になってしまっては、いくら財産があっても、身を滅ぼしてしまうだろう。劣等感があって、その反動で、見栄を張るために買うのであれば、買った瞬間に物欲は冷めてしまい、満足は得られず虚しい散財に終わるであろう。本当に満足するために買うのか、劣等感の反動なのか、見きわめなければいけない。
 本当に欲しいものを買う。それは、ぜいたく品であっても良い。だいたい、人間のやることは、ほぼ全て余剰なのである。洋服も、数枚あれば良いし、食事も、米と少々の野菜があれば十分なのである。経済活動とは、余剰である。
身の丈に合っているかとか、贅沢過ぎないかとか、考えなくて良い。欲しいものを買う。そして、その品が、生活を豊かにして、その差額以上の効果をもたらしてくれる、それは、投資である。自動車とか、洋服、貴金属、腕時計、などは、ステータスシンボルであると同時に、その人を、高揚させ、支え、励まし、気持ちを前向きにさせて、仕事も私生活も、高尚なものにしてくれる。ワンランク上に引き上げてくれる、それどころか最終的な夢を叶えてくれる。自己暗示と言えば聞こえが悪いだろうか、イメージトレーニングと言えば納得してもらえるだろうか。自己洗脳と言えば胡散臭いだろうな。なぜその品が欲しいのか、本心を見極めることが重要である。
 吉本ばなな氏であったであろうか、物を生きものの様に大切にする感性について何か論じていたように記憶している。

そしてまた、その様子を的確に察知して、購入すべきかどうか見極められ、そのひとことが言える女性、こういう女性は、家族、彼氏、夫、親戚、友達、を幸せにする。

日本人は、お金は汚いものという感じ方をする伝統がある。だから、何かを気を利かせて買って贈ることが、習慣として多く残っている。これほど贈り物が好きな民族もないであろう。そして、お金を使うことも、また、ヘタクソなのである。わたしも、ちょっとした買い物でも、迷いに迷い、挙句の果てに、くだらないものを沢山買っている。
 金儲けとなったら、エコノミックアニマルと揶揄されるほど、金儲けだけに夢中になり、バブルでまんまと、そのお金を、使うことなく海外に騙し取られ、一部の悪趣味の成金と、不良品を買わせられ続ける多くの日本人が残った。
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2012年07月04日

にんにんと、草間彌生と。

5月に、埼玉県立近代美術館で、草間彌生氏の作品を観た。
オブジェよりも、絵画に惹かれた。
幼い時の、悪夢と同じ映像だった。

その草間彌生氏の作品が常設展示されている公園があるのを知った。
十和田市現代美術館 アート広場
http://towadaartcenter.com/web/kusama.html
kusama05.jpg
(C)Yayoi Kusama

十和田市は、にんにくの産地らしい。
にんにんというキャラクターを作られた山本ミカコ氏のサイト
http://mikako-7.boo.jp/
モデルとなった、みたらし君(猫)のブロク
http://ameblo.jp/mikako-7/

そして、にんにんと草間彌生氏とのコラボです。
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(C)Yayoi kusama (C)山本ミカコ?この写真は、先のブログからの無断転載です。
前衛的ですいい気分(温泉)
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2009年11月13日

ことば メモランダム

考えがまとまってから、小論文にまとめようとしていると、なかなかまとまらずに、結局、そのまま忘れて終わりということが多い。


中途半端ながら、書き留めておこう。

大手拓次 『私の象徴詩論』
空海   『声字実相義』

西行 「私が詩を詠むのは、真言を唱えるに等し」

ソシュール アナグラム研究


空海は、本当の意味で詩人であり、ソシュールが言おうとしていたことを、既に言っていた。

大手拓次も、断片的に同様のことを言っている。同じ系譜に西行がいる。

そこからさらに、空海の信仰の対象は、西洋的絶対的他者としての「神」に近い考えを持っていたであろう。だから、今までの学者は、空海を読みきれないでいた。(これらのことを指摘している現代の学者としては、津田真一、松本史朗、山口瑞鳳、がいる。)
 大手拓次がクリスチャンだったのは、富岡製糸工場などに来ていた海外からの技術者の影響だろうということである。(群馬は、内村鑑三、同志社大学、など縁者が多い)

空海は詩作についての書物も著している。他の宗教的な書物よりも、生き生きと書かれている様に思える。本人が楽しんで、のびのびと考えを表現しているようだ。『文鏡秘府論』

最澄と空海の不和も、哲学者と詩人の差ではないかと思う。

ソシュールの解説は、丸山圭三郎の解説が便利だが、文章がおもしろくないので、読みつづけるのに努力と忍耐がいる。『言葉と無意識』講談社現代新書が手ごろだ。

で、何が言いたいか、
 実体視している現実は、実は、そこには無い。そのようには存在しない。時を時として把握した瞬間、時は停滞したある時間として架空の実在となる。人はそれをあたかも実在するかのように思っているにすぎない。では、時とともに遷り行くつかむことのできないこの世界は、純粋な「時」でしかない。ベルクソンや和辻が間違っていることはすでに指摘されている。この世は、存在ではなく時間なのである。
 では、その時間は何?
 ありのままに、ありのままを、そのように認識することができたら、それは悟りであろう。それは、「響き」であると説明できるかもしれない。
「五大に皆響きあり」(空海)

言葉にした瞬間、それは実体的観念と結びついて、真実ではなくなってしまう。言葉による言葉の超越をソシュールは考えていた。言葉になる前の真実、実体視される前の時である真実。それを論証しようとしたのかもしれない。

存在は時である。時は、響きである、波動、リズムである。存在と時との狭間に「言葉」がある。

初めに言葉ありき、これは、人間の分別の目覚めを語ったものではなく、人間の認識の根本であるところの、時間と存在、の分離を言おうとしているのかもしれない。人が存在を存在と認識し、時が流れていると感じているこの世界観を言い当てている。

これを心理学者のD.R.レインが、
「人が言葉を覚えた瞬間から、真実の自己と偽の自己との乖離が生じる。」と言っている。

 言葉をしゃべることは、生物にとってなじみの浅いもの。そして人は、言葉とそれによる実体視に毒されすぎてしまった。
 多くの宗教が、物への執着を捨てよと説くが、これは、物欲が人を不幸にするからではなく、物への執着を捨てることによって、ものの真実が見えてくることを目標としている教えであろう。時間と言葉に対する徹底した洞察が宗教家には求められる。時を物として間違って認識して執着を起こすのではなく、時を時として正しく見る。それが悟りか。時計


参考資料
大手拓次 詩
朝の時
あ あ あ あ あ
ろ ろ ろ  ろろろ  ろ ろ ろ
  め ろ  め ろ
  ろろろろろ  ろろろろ  ろろろ

昼の時
あを あを あを あを あを
いを いを いを
 はむ はむ   はむ はむ

あう あう
 ふ ふ ふ ふ ふ ふ ふ

夜の時
ちろ そろ ちろそろ
そろ そろ そろ
そる そる そる
  ちろちろちろ
され され されされされされされ
びるびるびるびる びる

  『藍色の蟇』 (ガマガエルの「蟇」です)より
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2009年10月08日

人間万事塞翁が馬

 「 人間万事塞翁が馬 」 という故事がある。


この解釈で、一般的なのは、

 「 何事も、良い悪いは、相対的であり、その場限りの良し悪しで一喜一憂することはない。」

 というものであろう。
全ては相対的であるというのは、なんとも安っぽい解釈である。


 私は、ちょっと違った解釈をしている。この解釈が学問的に正しいと言うつもりはない。個人の思い込みである。

私の解釈は、「 全てがうまく行っていると、すべての成り行きを解釈することである。 」 

これを言いすぎると、運命論や神秘思想になって、自身の努力や、悪を憎むことを否定してしまいかねないが、運命論や安易な神秘主義を否定しつつ、そう考えている。

主人公の翁が 「良いことがあってもそうとは限らない、悪いことがあっても、そうとは限らない。」といって、周りで騒ぐ人々に動じない、確固たる信念を持ってそう言えたということに、この世の事象や人間の判断である善悪を超えた何かを、この翁は信じていたように思う。そうでなかったら、このような確固たる態度は取れなかったように思う。

中国的な言い方をしたら、「 道 」 ということになるのだろうか、私は中国哲学は専門でないのでよく解らないが。西洋でいう「絶対的他者としての神」という概念に近い。そんな、人間を超えた、聖なるものとしての何かを自覚していたように思う。

 いま、日本人がめちゃくちゃなのは、そんな永遠なる聖なる存在、自分たちよりはるかに大きな存在を忘れてしまったからではないだろうか。
 「 正義感 」 の根本は、そういう感情だと思う。そういう感情から正義感は生まれると思う。


また、「何かに導かれている」という感覚になることもある。信心深い人が、不幸があっても、神のお導きであると考えるのに近い。もちろん、最大限の努力をして、正義を貫いて、それでも初めの計画通りに行かない場合に、そう考えることがあるということで、何の努力もせず、ずるいことやごまかしをして、何とか不正がばれませんようにと邪念するのとは違う。まじめに真剣に生きていても、不幸なことは起こる。しかしその不幸を不幸と思わずに、神の計らいであると解釈するところに宗教性がある。これもあまり言いすぎると安易な神秘思想になってしまうから、この言葉だけをそのまま受け止めないで欲しい。要するに言いたいことは、どうしょもないことは多い、このどうしょもないことの真実を見抜くこと。このための努力が、哲学であり、宗教であろう。
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2009年05月22日

昼下がりのバイオサスペンス劇場 1

序章

フルタミという抗ウィルス薬は、大量使用から5年が経ち、ほとんど効かなくなっていた。耐性を持つウィルスが世界で95パーセント、日本ではほぼ100パーセントになっていた。さらに、初期に製造したものは使用期限が迫っていた。このままでは、大量に在庫を廃棄処分しなければならない。

 流行に左右され簡単に情報操作が出来る日本は、フルタミ製造会社にとっては格好の市場だった。85パーセント以上の売り上げを日本が占めていた。これから出てくるかも知れないと言われているだけの新型のウィルスに対して、さらに効果が出るかどうか、効くかどうか解かるはずのない薬を大量に備蓄するなんて、日本以外には考えられない。

 なんとしても、日本人に使用期限の迫ったフルタミを使わせたい。大量在庫を抱えていて、耐性は100パーセントの日本に。このままでは、2009年の秋からのインフルエンザシーズンでは、フルタミは売り上げゼロになってしまう。メーカー在庫はすべてゴミとなってしまう。
 自然に任せておいて、フルタミが効くウィルスが流行る確率はもはやゼロに近い。薬剤製造会社にとって幸運なウィルスの出現を、神にお祈りしていても、製造会社は倒産してしまう。新型インフルエンザが流行したとしても、偶然にフルタミに耐性を持たないウィルスが出現することも、はかない夢でしかない。

 フルタミの利権は、3カ国にある。特許を持つ会社はアメリカ、製造はスイス、販売は日本など。スイスの会社はWHOを、アメリカの会社はCDCを、裏で操っていた。
 日本では、巧みにジェネリックを水際で阻止し、一つのある会社だけが利益を貪れるように仕組まれていたため、損害が出るときも一社に集中する。

もう、季節性のウィルスには、ほぼ100パーセント、フルタミが効かなくなっているという事実を日本人が知ってしまう前に、もう一度、フルタミの効くウィルスが流行って欲しかった。
 それは、製薬会社の、夢でしかなかったはずだった。


第一章

ある計画が動き出した。
フルタミに耐性を持ってしまったウィルスだけしかいない日本に、大量のフルタミを消費させるため、フルタミに耐性のないウィルスを日本にまく。
 極秘にウィルスが開発された。
 ウィルスの条件は、感染力は強く、毒性は弱いこと。強すぎると流行しない、すぐに患者は死んでしまいフルタミ消費に繋がらない。鳥インフルエンザのウィルスがそうであるように。そしてなにより、フルタミに耐性がないことが目的であり重要だ。基にしたウィルスはスペイン風邪のウィルスだった。幸運にも、開発途中で、4種類ある抗ウィルス薬の中で、フルタミとレリンザという薬以外は耐性を示すウィルスになったことが解った。

 これによって、世界中の100パーセント近い季節性ウィルスが耐性を持つ方向に変異している中で、開発されたウィルスは、唯一耐性を持たない方向に変異した、おかしなウィルスとなった。

 まく時期と場所、公表のタイミングも綿密に計画された。不衛生で、人が多く交流している場所、「メキシコ」。メキシコから発症して、アメリカに伝染したら、後は世界に撒き散らすことが出来る。メキシコには保障という形で金銭をつかませたら良い。
 初めの報道は、「ブタ」のウィルスというデマを流し、真実は明らかにしない。フルタミに耐性はないということは、早くから宣伝すること。フルタミを使わなくても普通に治ることや、季節性ウィルスとほとんど変わらないことは、できるだけ報道しないこと。
 日本にもタイミングを見計らって、しかるべき時にまく。
 あとは、日本のいつもの過剰反応と、WHOや国連の言うことは何でも信じる日本人に任せておけば良い。


第二章

 しかし、以外なことも起こった。
 新型には免疫はないという定説が覆された。
 そもそも、新型という定義自体が、曖昧なものでもあった。
 基にしたウィルスは、スペイン風邪のウィルスだったので、高齢者には憶測ではあるが基礎免疫力があり、さらに高齢者は65歳以上はワクチンの定期接種をしているが、1980年以降集団ワクチン接種を止めてしまった若者に重篤者が偏った。 しかしこのことは、若者に広がる危険なウィルスという印象を与え、かえってフルタミの消費に貢献した。
 成田で発症した患者から採取されたウィルス「成田株」は、5月20日、DNA検査の結果、タミフルに耐性はないと証明された。しかし、それ以前にタミフルは効くといううわさは日本中に広められていた。


第三章

 薬剤会社は、使用期限5年と決めていた。7年のアメリカより短くしたのは、期限切れの備蓄の買換え需要を狙ってのことではあったが、この5年間、顕著なインフルエンザの流行はなく、また副作用騒ぎもあり、メーカーの在庫が大量に余ってしまい、このまま使用期限が5年だと、メーカーの損失が大きくなるところだった。そんな理由から、使用期限を7年に延ばすように薬事法を政府に圧力をかけて変えさせた。

 さらに、「予防投与」という言葉も流行させる。このことによって、消費量は、数倍になるだろう。

ワクチンの開発も、同時に行われていた。そのワクチンは、政治的癒着のある韓国のある会社に渡された。ワクチンの大量生産による膨大な利益。ワクチンの流通も計画の一部だった。


      to be continue ?
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2009年04月02日

心は「気持ち」

「こころ」って、なんだか解らない。

でも、「気持ち」あるいは、「気分」というと解るような気がする。

確かに、気分や気持ちは実感できる。そして、移ろい行く。

気分が良かったのに、嫌なことがちょっとあると、すぐに気分が悪くなる。すぐにまた何かうれしいことがあると、うかれて有頂天になったりする。

こころと言うと、実体的な、私のこころと言うような、確固としたイメージがないといけないような気がしてしまう。そして解らなくなる。本当のこころとか、本心とか、まごころとか、本当の自分とか、解らなくなる。

時とともに移ろい行くもの、そんなことがらが、気分であり、気持ちであり、「こころ」といっていたものの正しい言い方のような気がする。こころといってしまうと、途端に解らなくなってしまう。実体的に想像してしまいやすくなる。


ハイデガーは、すべての存在を否定して、すべては時間であるといった。それも、「時間性」というちょっと解りづらい概念。そしてそれを、さらに、時間は「気分である」と言った。
なんで、論理を積み重ねてきた哲学に、あやふやな「気分」のようなものが出てくるのか、わからなかった。けれど、「こころ」を「気分」と言いかえると、解るような気がした。

人間が、こころであるとしたら、こころは時間的なあり方をしている、それは、気分といったほうが適切に表現される。心理学も「気分学」と言ったら私には解るような気がした。

すべては時間だ、と言われると不思議な気がするが、すべての中には人間も入るので、人間は時間だ、と考えると解る気がする。実際、人生人生と言っているものは、生まれてから死ぬまでの時間のことだし。意識も、意志も、こころも、身体も、時間とともに変化する現象であり、「時間」が流れる実感そのものだったりする。ような気がする。解らない。いい気分(温泉)
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2009年03月03日

座右の銘

眼明かなれば途に触れて皆宝なり」空海上人のお言葉。

二つの意味を読み取っています。

一つ、知識がある人が見たら、全ては利用できる、秘められた価値を見抜くことが出来る。似たような言葉に、「医王の眼に触れて皆薬なり。」などがあります。雑草でも、お医者さんが見たら薬草にならないものはない。

二つ、心が開けている時は、世界は輝いて見える。
真実を知る者にとっては、この世は密厳国土である。


落ち込んで塞ぎがちな時に、この言葉を思い出す。

心一つで、世界は闇にも光明にもなる。

カラオケ いーまは山中、いまは浜   闇を通って広野原るんるん

ですよ、みなさん、トンネルを抜けると、ひろのはらです。

がんばりましょう。ぴかぴか(新しい)

(自己紹介をサイドバーに表示してみました。ブログを書いている人の顔が見えないブログは、魅力が半減してしまうと感じましたので。よろしくねムード
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2008年12月01日

レイザーラモンHG 復活か?

アラフォーーッと叫ぶ第二弾のギャグで、2005年の流行語大賞につづいて二回目の流行語大賞を受賞。

一発屋ではないことを証明したかったレイザーラモンHG氏は、
あらゆる出演番組で「あ・ら・フォーーッ」を連発していた。

今後は、

あらゲッツ、あらキャイーン、あらおっぱっぴー、
などが予想されるということだ。
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2008年11月17日

オグシオって

オグシオって、サッカーの監督?の名前かと思ってた。

以上
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2008年07月27日

白隠 君看雙眼色 不語似無憂

良寛の好んで書いたという、白隠禅師の

「 君看雙眼色 不語似無憂 」である。

ある書道家の作品を拝見させていただく機会に恵まれた。

大小二つの作品があった。

はじめ私は、この小さい方の作品を見て、「恋文」かと思った。

大きい方は、迫ってくる迫力があり、禅師の迫力のようなものが伝わってきた。


私もいつか、恋文を書く機会に恵ぐまれたら、この一句を書いて渡そう。それで察することのできない女性なら、こちらからお断りだ。


どんな書き下しが正しいのか、解らないので原文を参照してみました。
「SAT」(サット)なんて特殊部隊みたいな名前ですが、平和的なお経のデータベースです。
「SAT」大正新脩大蔵経データベース 便利な世の中になりました。

槐安國語 (No. 2574) in 81 巻

0559b09: 千峯雨霽露光冷○君看雙眼色。不語似無愁月
0559b10: 落松根蘿屋前○眼中無見刺。耳裏絶聞塵擬
0559b11: 寫等閑此時意○若識琴中趣。何勞絃上聲一
0559b12: 溪雲鎖水潺潺○莫嫌襟上斑斑色。是妾燈前滴涙
0559b13: 縫

白隠禅師の『槐安國語』のなかに引用されている文。
見方は、大正大蔵経の第81巻の559ページの中段の9行目にあるということです。通し番号が2574番ということです。

「君看雙眼色 不語似無愁月」とありますね。
良寛禅師は、「愁月」を「憂」と言う一文字に置き換えたのでしょうか。それとも、良寛禅師が見ていたテキストには、「憂」とあったのでしょうか。脚注にはなにも注はありませんでした。5文字に統一したのかな。

さて、どんなふうに書き下しましょう。
みなさんなら、どう読まれますか。

(よーくこの目を見てください、黙っているからといって、何も思っていないわけではないのですよ。)という恋文になるかな。ちと無理か
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2008年06月02日

雲行きに、合わせて更新、天気予報

外に置いてあるコイとフナの入っている容器は、雨だれが入る。
けっこう溜まるので、雨の降る前に、古い水を出しておくと、水が新しく入れ替わる。

今夜、全然雨が降らないではないか!!
天気予報が当てにならん。小雨

コイは、「水深の変化に敏感、浅くなると不安になる」ようだ。川魚全般にいえそうだ。
半分ぐらい水を抜いてしまった。

川柳でも、ひとつ。

雲行きに合わせて更新天気予報。

天気予報、確認するたび、かわってる。

お後がよろしいようで。

きっと、うちのコイも雨が降ることを願っているだろう。
不安になりつつ。
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2008年05月10日

パンダ騒動と情操教育

パンダを「いる」「いらない」でははく、情操教育という面から。

yahooニュースから

「パンダ貸与」に抗議続々 対応に頭痛める「東京都」
5月9日21時5分配信 J-CASTニュース


抜粋
 さらに、都の石原慎太郎知事は、5月2日の定例会見で、「(パンダなんて)いてもいなくてもいいじゃない」「見たけりゃ、いるとこに行って見てくりゃいい」など借り受けに否定的ともとれる発言をした。また、その条件として、「費用対効果を換算して考えればいい」と厳しい見方を示している。

石原風の物の言い方は気にしないとして、引っかかるのが、「費用対効果」という言葉。
パンダ目当ての来園者がどれだけ増えるかということを問題にしているようだが。

単に金勘定でしか考えていないと受けとれる発言に危機を感じた。

アメリカでは、直接金儲けにつならがらない教科を、減らすか完全にやめてしまった。音楽や美術、それから体育もやめてしまって肥満児が増えているということだ。
かつて日本人が「economic animal」と嘲笑されたが、アメリカではそれを養成している。学校での銃の乱射事件も情操教育をやめてしまったことが遠因だと指摘する人もいる。

「費用対効果」というならば、上野動物園にパンダがいることによる子供への情操教育の効果こそ考えるべきだ。(もちろん希少動物にお金をかけなくても情操教育はできる。)

なんでも目先の金勘定だけしか考えていないような発言だったので、一言いいたくなった。

子供の情操教育を充実させることによって、治安のよい国、豊かな文化、何十年後の「美しい国」を担う市民がはぐくまれるというのに。色々な動物のいる動物園は、多くの感動を与えてくれると思う。小さな感動がやがて豊かな芸術文化社会を花さかせると思う。それは金では勘定できない。
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2008年03月08日

続 岐阜探訪 高山編

大樹
大きなイチョウの木。

どれだけ大きいかって、下に写っているベンチはミニチュアじゃないよ。

高山のお寺に生えていました。
有名なのかな。


「左甚五郎作」とされる彫刻は、あちこちにあるけれど、飛騨の匠たちが残した作品のいくつかに、左甚五郎の作だと言う話が語られるようになったらしい。左甚五郎は架空の人物らしい。弟子たちの功績が師匠の名で語り継がれることはしばしばあることだ。似たような話だけれど。
posted by ta meta ta at 20:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 偶成 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする