2009年10月27日

美濃加茂 川辺町の戦争の遺跡

もう一つ、美濃加茂に行った理由は、戦時中に洞窟が掘られ、そこに強制労働をさせられた中国と朝鮮半島出身の人々が、なんとその洞窟に押し込められ、爆弾を投げ入れられ虐殺されたという跡地をお参りするためでもありました。興味のある方は、是非川辺町に行ってみてください。洞窟に入ってみてください。そして平和への祈りを捧げてください。
 このことは、政府も公式に認めていません、ですから公式に日本政府は謝罪もしていません。戦場にかける橋で有名なビルマ・タイ南北鉄道も政府はまだ認めていなかったと思います、従軍慰安婦も最近になってようやく認めたという有様です。日本中にまだ公になっていない戦争の傷跡がたくさんあるのだと思います。
 3年前に、遺骨を掘り出して、韓国に納骨して、日韓合同の供養をしたということです。この洞窟は、まだ調査中です。
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修行道場

先日、各務原市に、2億5千万年前の、チャートを見に行ってきたことを書きました。恐竜の絶滅なんてもんじゃない、9割以上の生物が絶滅した地球の記憶。

地元の上司と車に乗って美濃加茂市に行く途中、網代笠を持った雲水を見かけて、思わず私は、

托鉢層がいる、すごい!! と言ったら、

岐阜と名古屋は、僧堂が多いよ、という説明をしてくださった。

ちょっと調べてみたら、あの有名な正眼寺は美濃加茂にあったのですね。その他の僧堂は以下のリンクを。
http://homepage.mac.com/shogenji/pg15.html

京都の喧騒を離れて修行に専念したい僧侶がこの地を選んだということですね。なるほど。



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55キロは400cc

成分献血をして、自分は少ないなあと思っていた。

体重別で、量が決まっていたのを知った。

http://www.jrc.or.jp/donation/terms/index.html

私はちょうど境目の体重55キロ。

太ると60キロにもなったりする。
最近、筋肉が落ちているのに、体重が変わらないのは、いわゆる中年ぶとり、哀しい。

400ccから450ccまでしか一回で献血できないのだな。

大きな人が、たくさん献血している姿を見て自分を不甲斐ないと思わなくてよいのだな。


献血は、何の疑問も無く行っている私ではあるが、臓器移植となると、ちょっと考えてしまう。
法整備の問題として、闇で臓器売買とかの問題もあるけれど。
 自分が死ぬ場合、利用できる臓器は全て利用してほしいと思う。どうせ土に返るのだし。残りは燃やさないで欲しいな。土に返りたい。微生物が分解して、植物の栄養分になりたいな。花を咲かせたり、果実を実らせたり。まあ、燃やして二酸化炭素になっても、植物の光合成には役立つのだけれど。

ジャングル大帝レオの最後もすばらしい。自分が死んだら、肉を食べて毛皮を着て、冬山を下山しろと遺言する。

心臓移植を待つ子供と、肝臓移植を待つ子供がいて、二人の入院先のベットが隣同士だったらどうしよう。
 二人とも、自分の死が先に来ることを願ってしまうように思う。どうだろう。解らない。


そうそう、この前、献血していたら、機械がピーピー鳴り出した。
 献血ルームにいた全員が私に注目した。私もびっくりした。担当の人が機械を確認して、
「泡が多くて流れが止まっていただけですので何も異常はないですよ。」ということだった。
ピーピー鳴り出して、看護士?の方が全員注目したときにはびっくりしたさー。
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太宰治

まあ、生誕100周年ですわ。

青森出身のおばあさんが、生前、いまらか20年ぐらい前に80歳ぐらいだった人ですが、

 「 太宰は不良くさくてねえ、棟方志功は、女学生の気を引きたくて、女学校の女子寮の前で踊っていたっけねえ。」
 などと話してくれたのを思い出す。

それで、読書日記ですが、今日は、

『人格障害かもしれない どうして普通にできないんだろう』
磯部潮著 2003年4月 光文社新書

なぜこれかというと、太宰を評して、

「境界性人格障害、自己愛性人格障害」と述べている。p,215

並べて、尾崎豊、三島由紀夫を評している。
だからといって、価値を下げようとしているのではなく、理解を深めようとする一つの試みである。ファンの人も早合点して悪く思わないで、この部分だけでも立ち読みをしてみてね。

生みの母がいないということが、その子の成長過程に影響したと思える歴史的人物も多い。
たとえば、道元、釈尊、そして太宰治。

斎藤信治氏の『哲学初歩』でも、哲学の素質として、「例外者意識」を挙げている。西田も確か、「哲学をやるようなものは、山羊が緑の草原にいて、枯れ草を食むようなもの」だと言っていたと思う。
 何か、疎外感のようなものが人を哲学にいざなうのかとも思う。あたりまえかな。毎日が楽しくて生きていることに疑問を抱かない人には、哲学も宗教もいらないのだろう。

あとで、斎藤信治先生の『哲学初歩』についても感想を書きたいと思います。
木田元先生のコーナーが、池袋のジュンク堂でやっていました。もうやっていないかもしれません。
斎藤先生の著作の復刻です。『沙漠的人間』など。
http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0001021570
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2009年10月26日

円鏡力の故に実覚智なり

先日、円鏡力の故に実覚智なりと書いた。

これは、空海の即身成仏義の偈の最後の部分である。

正しくありのままに認識できたら、それが悟りの智慧であるというふうに解釈している。

詳しくは SAT で調べてみてね。
大藏經テキストデータベース
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/


そう、仏教は認識論である。正しく認識すること。
では仏教はこの世界を何だと言っているのかというと、縁起であると言っている。縁起という真実をありのままに認識できたら、阿羅漢だ。あるいはこの世は縁起であると如実に認識できたらよいのだ。

自然を見ていると、気持ちがすーっとするのです。
無常、無我、という思いが何の抵抗も無く満たすのです。
 しかし、人工物はダメだ。コンクリートもアスファルトも、電柱も自動車も機械も、無常に抵抗しているように感じる。永遠であろうとして無理をしているように感じる。無常の流れの中で、無常と共に生きていこうとするのを、人間は反抗して永遠であろうとしたり、不変であろうとしたり、そんなものを作ろうとしたり、不自然な気がする。
 もっと悟れた人が見たら、そんな人工物まで、無常なものとして見られるのだろう。人間の営みもはかないと。祇園精舎の鐘の声、、、。


法身説法という言葉もある。自然がそのまま真実を語りかけてくる。自然を見ていると、そんな気がするけれど、人工物を見ているとそういうふうには思えない。

そんなことを考えていました。
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2009年10月25日

毎月新聞

電車に乗ったり、寝る前に、読む本がないと生きている気がしない私である。本

このブログも画像を載せたくても容量がいっぱいで載せられないので、更新のモチベーションも下がってしまう。

1メガ50円って高いよ。
昔の画像を削除することも考えたけれど、一枚一枚思い入れがあって、結構撮るのに苦労したり、何十枚もシャッターを切ってその中の厳選された一枚だったりして、削除ができない。

ということで、しばらく画像無しのブログ更新。
かといって、世俗批判ばかりしていても心がすさんでいく一方だ。

読書日記を公開しつつ、画像を載せる対策を取れるまで間を持たせることにする。

そんでもて、今回は、
『 毎月新聞 』 佐藤雅彦著 中央公論新社 2009年9月 

中公文庫を買った。
著者の佐藤氏は、ピタゴラスイッチやだんご三兄弟で有名になりました。この毎月新聞は、ブログネタに良いような話題が豊富だ。批判してもよし、付け加えてもよし、自論を展開してもよし。

電車の中で暇つぶしに読むのにちょうどよい。
へそ曲がりな私は、そうそう、とうなずける記事も多い。フレーミーは私はあまり好きではなかった。

 視点を変えるということの重要さと難しさ。
 言葉や概念の洪水に溺れてしまっている。


 円鏡力の故に実覚智なり。
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2009年10月23日

白樺湖に行ってきた。

紅葉が美しかったです。
写真を載せたい!美しかったよ〜。
冬の木の枝の繊細な感じも好きです。
青葉も好きです。

えーっと、佐久から木曽路に抜けるルートを考えた。

佐久 新和田トンネル 岡谷 塩尻峠 木曽路
これは一般的だ。途中新和田トンネルは有料だ。バイク500円。速いし道が良い。雪もほとんど積もらない。

佐久 白樺湖 茅野 伊那 権兵衛峠 木曽路
山道が多いが、危険というほどでもない。冬季閉鎖も無い。冬は雪が積もるかもしれない。
夏でバイクなら絶対こっちだ。

木曽路の美味い蕎麦屋
「 時香志 」 じこぼう という。
「 おやまぼくちそば 」 というらしい。
木曽町新開芝原8990
0264-27-6428
やっぱりねえ、何をするにも、センスなのですよ。
店内も食器も言うこと無し。

新潟十日町のへぎそばと、ここと、二箇所おいしいそばを発見した。

「 くりきんとん 」 は、恵那川上屋だ。
恵那の川上屋だよ。恵那に限る。美味さがぜんぜん違う。恵那の川上屋と覚えよう。
http://www.enakawakamiya.co.jp/

中津川から256に入って、下呂をかすめて41号を南下すると、山道をのんびり行ける。
各務原に到着。美濃加茂から各務原には新しいトンネルができたのでとても速い。

2億5000万年前のチャートを探してきた。
それらしきところを発見したけれど、草が茂っていて険しくて近寄れなかった。

桃太郎神社は、残念な感じがとても印象的です。
子供をつれてきてのんびりするのにはちょうど良い。


大きな桃をおじいさんが包丁で切った時、嫌な感触がしたので、中身を確認せずに捨ててしまったということです。めでたしめでたし。
喫茶店
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2009年10月20日

遷都だな

八ッ場ダムの報道ばかりですが、道路公団再国有化はどうなってしまったのでしょうか。天下り凍結も40人ではなくて4千人の間違いではないかと思っていましたが、どうなんでしょう。

天下りと道路公団という肝心なことは問題にせず、どうでもよいことをわざとさわいでる感じだ。
民主党もダメだ。

ダムの建設は、雨量と地形とを調査して専門家が必要かどうか決めることで、必要なら建設したらよいし、必要なければ即中止というこである。政治家が利権でやるとかやらないとか言い争っていることに、失望。
 しかもダム以外にも治水と利水に効果的で安上がりな対策はいくらでもある。

 本当にダムの報道を見ていると、政治家は、国庫から仕事を取ってくることだけが仕事のゼネコンの営業部門でしかないと思える。関東の全ての知事はリコールだ。八ッ場ダムは、専門家に任せて、まともな政治をしてください。


そんなにハコモノをやりたいのなら、「 遷都 」 だ。
ダムよりはマシだ。マシだとうだけの話である。

皇居だって、江戸城の跡地に無理やり造って、おかしな話だ。

皇居移転、江戸城再建

石原、訳の解らぬことに数百億円も無駄に使うなら、江戸城再建だ。
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2009年10月14日

三宅島のバイクレースについて

石原憤太郎を批判するなんて、虚しいだけなのですが、してしまいます。

私は、バイクによく乗ります。
自転車も好きです。
散歩も好きです。

そして、おかしいなあと思うのが、

「チャレンジ三宅島モーターサイクルフェスティバル」
http://challenge-miyakejima.com/

です。

昨年は、バイクメーカー大手が協力しませんでしたので、石原が怒り狂いました。それも、全く証拠のつかめない言いがかりで。
 メーカーには以下に書くように理由があると思うのです。
 今年はそのメーカー各社が協賛するようです
 たぶん、昨年までは、石原はバイクレースを実現するまで諦めないと言っていたので、メーカーは、レースは絶対しないという条件がないと協力できないという事だったと思うのです。憶測ですが、最近になって協賛してもらうのと引き換えに石原がレースを断念することを約束したのだと思います。憶測です。
追記
08年12月にホンダから意見が出ていました。
石原都知事が公道レースをしないというなら…ホンダがコメント
http://3w.bikehikaku.com/news/article118071.php
「ホンダがイベントを妨害しているというのは事実無根。遺憾だ。我々は、終始一貫して石原都知事が公道レースを標榜している限りは協力しないと言い続けているだけで、何も変わっていない。しかし、石原都知事が将来においても公道レースをしないとおっしゃるなら、ホンダとして協力することは考えられる」(同社広報部)

同社が受け入れられないのは、昨年7月の石原氏の発言だ。会見の中で「(出場選手は)危険を覚悟でやっている。そこに人間のおもしろさ、意味がある」と語った点だという。

「都知事は命をかけてチャレンジしているというが、安全性に対する考え方が食い違ったので協力できないと申し上げた。公道レースを標榜する以上、協力できない」(ホンダ広報部)



昨年の言いがかりの記事
ホンダの圧力で報道が一人も来ていないと発言。
石原都知事 HONDAに宣戦布告
2008年10月18日(土)15時0分配信 リアルスポーツ
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/naigai-2008101873957781/1.htm
抜粋
知事発言は複数の情報源によるものというが、「大相撲の八百長疑惑のように証拠がない」(知事)。しかし挨拶で「記者なんて、きょうひとりも来ていないよ」と激情のままに述べたのは言いすぎ。期間中、本紙を含む16社33人が取材エントリー。著名なバイク雑誌も入っている。第1回の昨年よりメディア数は減ったが、各社でニュースバリューの判断は異なるため、一概に妨害があったとは言い切れない。今後のホンダの出方が注目されるところだ。

注意
非常に下品な発言と言い方がされております、気分が悪くなるので、覚悟して再生してください。
石原憤太郎 プンタロウ プンプン

こんなことをいわれて、ホンダはよく、今年になって協賛したなあ。
「 相撲の八百長 」 まで公言しているが、大丈夫なの、政治家として?

石原はガセネタをつかまされたのではないだろうか。だいいち、メーカーがこの大会を妨害する理由が無い。モーターショーにさえ出展を断念するご時世です。陰謀だと決め付けるのは無理だと思う。各メーカーは、独自にライディングスクールやイベントやレースを行っていてそれさえ規模を縮小しているというのに。
 雑誌が取り上げるのが少ないというのも、どういう記事をどう取り上げるかは編集者の裁量だろう。三宅島の記事が載っていてもその雑誌を買おうとは思わないだろう。ツーリングの参考にもならないし、メンテナンスの参考にもならない。ニューモデルの速報でもないし、新技術の解説でもない。三宅島で釣りをするとかどんな魚がいるとか言うような記事なら読みたいと思うけれどね。

詳しくは、こちらのサイトをご覧ください。
わんわんらっぱーさんのブログ
http://wanwanlapper.seesaa.net/article/127539386.html

Erv Yamaguchiさんのサイト
http://www.maderv.com/Diary080331-copy/Diary080331.htm

 私が思うに、バイクのイメージが、「暴走族」「危険」 「不良」 というのが広まってしまい、そういう悪いイメージを払拭したいとバイクメーカーも良心的なバイク乗りも思っていると思うのです。
 バイクは、燃費もよいし、駐輪に場所をとらないし、徒歩や自転車ほどではないが、省エネと環境保全によいものだと思うのです。ですから、バイクに対してよいイメージを広めて、社会に受け入れてもらいたいと思うのです。
 実際、原付による未熟な運転が原因の事故や若者の無謀運転による事故は多いのですが、二輪免許を持った25歳以上の事故は普通自動車の事故と発生率は変わらなくなるのです。免許を保有しつつほとんどバイクに乗らない人も多いのですが。無謀運転の取締りを強化したり、原付を運転する人への運転訓練を強化したら、二輪車に対する世論も変わると思うのです。税制も、リッター30キロ以上走るバイクには、減税しても良いと思うのです。有料道路も自動車並みの料金を取るのは高すぎると思う。

バイクは、燃費がよく、一般に思われているほど危険ではなく、駐車場も狭くてすむ、とても優秀な乗り物なので、これからは安全性能と、省エネと環境というイメージで販売促進をしていきたいメーカーが、危険なレースに協賛することを渋るのは当然だと思うのです。レースをして事故が大きく報道されては、本末転倒です。

 島の利点を生かすなら、排気ガスと騒音とを撒き散らして爆走するバイクは、三宅島にふさわしくないと思うのです。自転車競技とか、マラソンとかなら良かったと思う。それこそ、チャリティーマラソンを三宅島で行ったらよい。東京マラソンという発想があったのならねえ。三宅島で自転車なんて良いじゃないですか。マラソンということなら、実業団や大学のチームの合宿場として整備してもよいでしょう。

 マン島のレースをまねたということらしいですが、マン島でレースが行われるようになった理由は、大陸やGBで交通規制が厳しくなり、レースを行える場所がなくなって、マン島に追いやられたというのが実情のようですね。TTのTというのも、ツーリングの頭文字でして、そのレースの名前からも当事の事情を読み取ることができます。そして時代にそぐわなくなってきた、時代の役目は十分に果たしたという理由で、100回目を迎えるにあたって、終わりにする意見も出されていたということです。
 日本には、有名なサーキット場があります。そしてこれまた有名なレースがたくさん行われています。新たなレース場と大会は必要とされていない。どうも石原は、オリンピックとかカジノとか、モーターレースとか、発想が半世紀ずれている。
そもそも、二輪車業界は縮小していて、ましてレースなんて、この先成長する見込みが無い部門でしょ。石原の先見の眼の無いのを、自分の失策をホンダのせいにしてもねえ。

 昔、知人が東京都の教員試験に合格した時に、初任地が島でした。そこから送られてきた 「 アジのひらき 」 が美味しかったことは、今でも忘れません。一生忘れないほどおいしいアジがとれる島。豊かで美しい島の生活をはやく取り戻してほしいと願っております。
バイクレースはいらないよ。

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2009年10月13日

取調べの可視化

日本の警察、検察、裁判、などが、腐りきっていることは、既にたくさん指摘されていることだが、こういう事件が大きく取り上げられて、まともな社会になっていくことを期待する。

日本側の言い訳は、正しくやっているということだが、そもそも今までの日本のやり方が世界基準にほど遠い下劣なものだったのだから、言い訳にもならないのですよ。
 国外から、「あんたらおかしいよ」 と指摘されることが増えると良いな。

アメリカで、取調べの可視化が行われるようになったのは、オバマの功績でもある。
 日本でも、取調べの画像と音声を完全に記録しなければならないという法律ができると良いな。

以前の関連記事
http://blogs.dion.ne.jp/kappappa/archives/8663414.html
庶民でも解る冤罪と癒着


http://www.cnn.co.jp/usa/CNN200910130001.html
逮捕の米国人が「過酷な扱い」受けたと主張、県警は否定
東京(CNN) 元妻が日本に連れ帰ったわが子を奪い返そうとしたとして米国人男性が福岡県警に未成年者略取容疑で逮捕された事件で、この男性の弁護人は12日、男性が留置場で過酷な扱いを受けていると主張する声明を発表した。警察側は、そうした事実はないと否定している。

この事件では、米テネシー州在住のクリストファー・サボイ容疑者(38)が登校中の子供2人を車に乗せて連れ去ろうとした疑いで、28日に福岡県警柳川署に逮捕された。米国ではメディアがサボイ容疑者を英雄視する報道を展開するなどして日本に対する批判が高まり、外交問題化する様相も見せている。

男性の弁護人を務めるジェレミー・モーリー弁護士は、同容疑者に対する取り調べと公判前の留置を問題視。単独で弁護士と接見することが許されないうえ、必要な治療を受けさせてもらえず、眠りも妨げられていると主張して、同容疑者に対する処遇は「拷問」に等しいと訴えた。

ただしモーリー弁護士の主張は直接見聞きした内容だけではなく、同容疑者の現在の妻が関係者から聞いたという話も含まれているという。

一方、柳川署はCNNの取材に対し、サボイ容疑者は定期的に医師の診察を受けて薬も処方されており、1日8時間の睡眠も保証されていると反論。取り調べは通訳を介して日本の法律に従って行っているほか、弁護士とは頻繁に接見させていると話し、事件の性質上、同容疑者は特別扱いを受けていると強調した。

サボイ容疑者と元妻は14年前に結婚し、今年1月に離婚。2人とも日本と米国の両方の国籍を持ち、以前は日本に住んでいたが、離婚前に米国に移っていた。離婚後は元妻が米国に住んで子供を引き取り、サボイ容疑者とも会わせる取り決めになっていたとされるが、現地の裁判所の記録によれば、8月に元妻が子供を日本に連れ去ったため、裁判所はサボイ容疑者のみに親権を認めると定めていた。

しかし日本では元妻に親権があり、警察によれば国内では離婚届も出されていないため、事態は一層複雑になっている。

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ガンジーさえ受賞していないのに

 ガンジーは、ノーベル平和賞の候補にあがったのを5回も辞退したということであるから(未確認)ガンジーは受賞していないのは当たり前なのである。
http://news.livedoor.com/article/detail/4391546/

オバマがノーベル賞を受賞しても、もはや意味はない。ゴアが受賞した頃から、ノーベル賞は政治の道具でしかなくなってしまったのだから。オリンピックも手垢が付き過ぎている、広島と長崎は、オリンピックなんか関係なく、独自に純粋に平和を訴え続けて行く方が良いと思うし、可能だし、効果的だと思う。ノーベル賞もオリンピックも有り難がる時代は終わっているのだ。

いや、そんなことを言いたいのではない。


私は、こういうガンジーの評価に疑問を抱く。

みなさんは、アンベードカル B.R.Ambedkar をご存知だろうか。

実は、アンベードカルこそ、インドで平等を訴えた人だった。それに反対したのが、ガンジーだった。
 ガンジーは、ヴァルナを否定しなかった。不可触民のための水飲み場は作ったが、差別を撤廃して一つの水飲み場をみんなで使うようにはしなかった。不可殖民を神の子(ハリジャン)と呼んだが、それは、来世には神の世界に生まれるからだと言った、これほど酷いあからさまな差別思想があるだろうか。現世において、今のこの生活においての差別を否定せずに、来世には神の国に生まれるから神の子だなんて、名前だけ神の子なんて呼ばれても不愉快なだけだろう、実際、神の子という言葉は使用を禁止された。
 ガンジーは、政治的な要求であっても、自分の要求が通らないと、命をかけた断食をした。結局ガンジーに死なれては困るので、ガンジーの要求を飲まざるをえなくなる。これは、刃物を他人に突きつけるか、自分の喉元に突きつけるかの違いでしかない。これを私は、間接的暴力だと考える。自分の不利な会議にはわざと欠席しつつそのような死をかけた断食をするのは、話し合いを拒んで暴力に訴えることと同じである。私はガンジーを非暴力の人とは認めない。

 最近になって、インドでもガンジーを正しく評価するという動きが出てきている。再評価をするといってもよいだろう。間違ったガンジー像が流布してしまっているから。
 ガンジーを語る場合は、アンベードカルとのやり取りを無視してはいけない。

参考に、
『 インド社会と新仏教 』 山崎元一著 刀水書房 1979年

ガンジーを支持する書物は、アンベードカルを悪く書き、アンベードカルを支持する書物は、ガンジーを悪く書くので、両方の書物をたくさんバランスよく読むのが肝心である。

確実なことはいえないが、
 イギリスは、ガンジーがいなくても、インドを独立させる用意があった。
 民主主義を妨害したのは、ヒンドゥー教徒であるガンジーだった。もちろんアメリカ式の社会が最高だとは思わないが、今でも差別主義の国のままであるのは、ガンジーの功績?だろう。

ガンジーを批判すると、このブログは、炎上するかな。

ノーベル賞をめぐって、ガンジーとオバマが比較されるなんて、なんたる歴史のいたずらだろう。
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2009年10月12日

報道の改革が始まろうとしている

亀井静香氏にたいする、新聞各社からの一斉攻撃が始まっております。

読売新聞
亀井金融相に「活動費」2億、資金管理団体などから
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091006-OYT1T00567.htm?from=main1

産経新聞
亀井金融担当相、西松事件で逮捕の幹部から献金、平成9〜12年
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/091012/crm0910120130000-n1.htm


なぜ、亀井氏は、報道各社から攻撃されているのか。
記者クラブを解放しようとしたら、記者クラブ側によって阻止されたので、同じ会見を二度開いて、フリーの記者にも会見を行ったからのようだ。

亀井静香大臣 vs 記者クラブ バトルは新次元に突入
http://www.jimbo.tv/commentary/000596.php

記者クラブに開放断られて 亀井氏「もうひとつの記者会見」断行
http://www.j-cast.com/2009/10/06051134.html

おもしろすぎる!!
がんばれ亀井。
郵政選挙の時には、対抗馬にホリエモンを立候補されて、あたふたしていた姿が人柄を良く表していたと思っていたが、転機が訪れたというのか正義は勝つということか、なんだかよく解らないが、おもしろい。

業界、官界、政界、そして報道がまともにならないとね。
既に指摘されていることだが、報道が真実をそのまま伝えてくれなければ、国民が政治を監視することができなくなってしまう。
 さらに大手新聞社を監視する報道組織も必要だという指摘があるが、その役割をフリーのジャーナリストに大いに期待するのである。
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八ッ場ダムの地元の意見

ダムの計画に反対していた地元住民の意見を無視して、強引に計画を進めておいて、いまさら中止はないだろう、地元住民を馬鹿にしている。というのが怒りの本質であろう。

地元住民は、下流域の治水と利水のためにダムが必要だと訴えているのではない。

また、下流域の県の政治家は、ダム地域に住む人々の幸せを考えてダムが必要だと言っているのではない。

計画から、50年以上経っても完成せず、その間に治水も利水も問題なかったということから、ダムの計画そのものが意味がないという判断も当然だろう。

さらに、地元住民と下流域の県の政治屋との問題意識の齟齬も、このダム計画が全く初めから必要のない計画であったことを物語っている。利権に絡んだ役人に愚弄された地元住民の怒りが、「ダム中止を反対する」という形で噴出しているに過ぎない。

恨むのなら、民主党ではなく、公共事業のための公共事業を強引に押し進めた前政権である自民党を恨むべきだろう。

政権が変わって、公共事業が見直されて、工事が途中で中止されることは、世界中であることであって、むしろ工事の中止は、健全な社会であるといえる。もちろん初めから利権に絡んだだけの無駄な公共事業なんて無ければこんなことは起こらないで済むのではある。民主党は、自民党の悪政の処理をしているに過ぎない。
 自民党員こそ、利権に目が眩んだ愚かな自分たちの政策によって地元の皆さんを苦しめる結果になってしまったと、謝罪をして回るべきだろう。居直って民主や国民を悪く言うのはお門違いだ。報道も、地元ゼネコンの反対集会を取材して、地元の意見として全国に報道するのは止めて欲しい。

同じ理由で、諫早湾干拓と長良川河口堰とも、完成してしまっているが、それを撤去するにはまたお金がかかるが、撤去するべきであろう。
 八ッ場ダムも、完成してから、やっぱりいらないから撤去しますっていうことになったほうが無駄でしょ。水没して堆積物に覆われた渓谷は元に戻らないかもしれないし。

以前の記事
http://blogs.dion.ne.jp/kappappa/archives/8768999.html
http://blogs.dion.ne.jp/kappappa/archives/8773938.html
http://blogs.dion.ne.jp/kappappa/archives/8810857.html
http://blogs.dion.ne.jp/kappappa/archives/8767674.html


アンケート記事
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2009年10月10日

安井至氏の丸山茂徳氏批判について

環境問題については、もうこのブログでは書かないことにしようと思っていましたが、丸山茂徳氏の理論が合っていそうな予感がして、おもしろいので、続けたいと思います。

そこで、丸山茂徳氏を批判しているサイトを調べてみました。
 そう、賛同者で固めるよりも、批判者を吟味した方が、有意義なのです。
 時として、耳は痛いが批判者の意見に耳を傾けることが自分の考えを深めてくれます。むしろ批判をしてくれる人は有り難いのです。自分を褒める人は自分をダメにするかもしれないが、自分を批判する人は、自分を成長させてくれる。批判者こそ、大切にしなければいけない。


そこで、見つけたのが、安井至氏のサイト
http://www.yasuienv.net/
このサイトの中の 08年8月24日の記事
誤解を増長させる丸山式論理
http://www.yasuienv.net/MaruyamaCO2.htm

『科学者の9割は地球温暖化CO2犯人説はウソだと知っている』宝島社新書 2008年8月
を取り上げての記述。

丸山氏がこの本で言いたいことである「寒冷化」については、学術的に論破されていなかった。
 その理由に、丸山氏の支持する論文は「仮説」であって、「理論」になっていないからだということだ。
 丸山氏自身もスペンスマークの理論を仮説と記述している。
安井氏は、仮説と理論との境目を説明されていないが、この本で言いたいことを仮説だといって相手にする必要なないという理屈では、ではなぜ、この本を選んで批判を加えたいと考えたのか解らない。

 またこの本の核心ではない部分について長く批判を加えていることは、いたずらにこの本を悪く言っているに過ぎない。丸山氏の理論を正面から批判して欲しかった。そうでなかったら、全く意味がない。

 まず、安井氏は、仮説と理論との違いと、その定義を明確に論じるべきであろう。そして、なぜ丸山氏の支持する論文が仮説の部類の入るのか、そしてなぜ議論するに値しないのかはっきりと述べるべきであろう。

安井至氏は、有名な人らしいが、まともな批判が聞けなくて残念である。
学者が学者の著作を批判するのに、こんな中学生の読書感想文みたいなことでよいのだろうか。


また、安井氏は、丸山氏について商業主義で売れそうな本を出したと批判しているが、丸山氏は、科学者として黙っていられないという正義感からこういう本を著したということを言っている。安井氏の文章を読んで、いっそう私は丸山氏を科学者として信頼できると感じた。

スベンスマーク(Svensmark)の論文について詳しいサイト
http://www.mission-k.net/globalwarming/protest-top.html

http://www.mission-k.net/
posted by ta meta ta at 23:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 環境問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

治安と土木工事

こんな意見を公表すると、このブログは、炎上するかもしれないが。

いわゆるゼネコンの最下層の現場の労働者の中には、日雇い労働者や、ホームレスが多く含まれている。

公共工事を行うことによって、社会的弱者に職を与えていたという側面がある。

政府の機能の重要なものの一つに 「 富の再分配 」 がある。

まさに公共事業は、それをしていた。

公共事業の削減は結構なことではあるが、それによって収入を得ていた最下層の人々の生活をも政府は考えないといけない。

談合で受注して丸投げして中間マージンを荒稼ぎしていたゼネコン大手は、どんどん潰すべきであるが、一般労働者の生活は何か考えないといけない。

この職を失う人々の行き先を考えないと、治安の悪化に繋がるかと思う。
林業や農業がいいかも。政府の無駄づかいを無くす政策は止めてはいけない。うまくシフトしなければいけない。

声を大にして言えない事ではあるが、日本の治安が外国と比べて良いと言われている背景には、公共事業が盛んだったということがあるかもしれない。
posted by ta meta ta at 14:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月09日

石原慎太郎に呆れる

五輪招致をめぐる発言で抗議を受けている石原都知事が反論「事実を言っただけ」http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00164506.html
裏取引発言、ブラジル招致委がIOCに抗議文
http://www.yomiuri.co.jp/sports/news/20091006-OYT1T00819.htm?from=nwla

ブラジルからアフリカに援助が約束されたかどうかが問題なのではない。本当のことを言ったまでだという石原は狂っている。
 問題なのは、その約束によって、投票が左右されたという石原の指摘に証拠があるのかどうかということだ。石原はそれに答えられないであろう。投票は公正に行われたと当事者が発言したらそれまでのことなのだ。石原の発言は、単なる言いがかりでしかない。それを撤回するどころか、さらに逆なでするような子供じみた発言。

 なんという愚かな発言であろうか。
 くだらないので石原のことは取り上げないでいたが、愚に愚を重ねる石原に、何か怒りのようなものまで感じるようになった。
 尻拭いをした猪谷千春氏にまで、頼んだ覚えはないなどというのは、大人の発言ではない。

総力戦にならなかったという発言は、国の支援を得られなかったという恨み節であろう。なぜ国を挙げての招致にならなかったのかは、石原自身が反省すべきであろう。 もし、北海道や九州でやるのであったら、国民の賛同も得られたかもしれない。夏のオリンピックを北海道でなんて、良いと思う。夏の東京なんて、生きているだけでも辛いのに。

 石原の目的は、IOCの不正を暴くことではないでしょ。さっさと謝罪をして、知事も辞めてほしい。国益を損なったということでリコールできないのでしょうか。

静岡新聞
http://www.shizushin.com/news/pol_eco/national_pol/2009100901000640.htm
石原知事「本当のこと言った」 リオ反発にも修正せず
10/09 17:45
 石原慎太郎東京都知事は9日の記者会見で、2016年夏季五輪の招致活動をめぐる発言で開催都市に選ばれたリオデジャネイロから反発を受けたことについて「本当のことを言っただけ」と述べ、修正はしなかった。
 知事は4日の帰国会見で「ブラジルの大統領が来て、聞くところ、かなり思い切った約束をアフリカの諸君としたようです」などと発言。9日の会見では「実際のことで、それを悪いといってるわけじゃない。ただ日本ができなかっただけのこと。日本はそういう意味の総力戦ができなかった」と説明した。
 国際オリンピック委員会(IOC)の猪谷千春副会長が発言をめぐりロゲIOC会長やリオの招致委員会会長らに謝罪したことには「知らない。彼に頼んだこともない。僕は本当のことを言っただけ」とし「ブラジルの大統領が国費を使って援助をするから頼むぞ、というのは総力戦からすれば当然」と繰り返した。



もし、石原が正式に謝罪をせず、ブラジルとアフリカ諸国が、正式に抗議をし続けたのなら、リオのオリンピックには日本は出場できなくなるか、出場できてもブーイングの嵐の中で競技をすることになるかもしれない。石原の発言はそのぐらい重大だと思う。
 謝罪をしないことに、何のメリットがあるのか。
 IOCを改革したいのなら、別の機会に、確固たる証拠を掴んでから、用意周到に行うべきであろう。
 ブラジルには、多くの日本人が移住している。またブラジルから日本にきている人も多い。ブラジルと日本は仲良くしなければならないのに、そんな歴史があるのに、仲を悪くするようなことを言うな。
posted by ta meta ta at 19:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月08日

人間万事塞翁が馬

 「 人間万事塞翁が馬 」 という故事がある。


この解釈で、一般的なのは、

 「 何事も、良い悪いは、相対的であり、その場限りの良し悪しで一喜一憂することはない。」

 というものであろう。
全ては相対的であるというのは、なんとも安っぽい解釈である。


 私は、ちょっと違った解釈をしている。この解釈が学問的に正しいと言うつもりはない。個人の思い込みである。

私の解釈は、「 全てがうまく行っていると、すべての成り行きを解釈することである。 」 

これを言いすぎると、運命論や神秘思想になって、自身の努力や、悪を憎むことを否定してしまいかねないが、運命論や安易な神秘主義を否定しつつ、そう考えている。

主人公の翁が 「良いことがあってもそうとは限らない、悪いことがあっても、そうとは限らない。」といって、周りで騒ぐ人々に動じない、確固たる信念を持ってそう言えたということに、この世の事象や人間の判断である善悪を超えた何かを、この翁は信じていたように思う。そうでなかったら、このような確固たる態度は取れなかったように思う。

中国的な言い方をしたら、「 道 」 ということになるのだろうか、私は中国哲学は専門でないのでよく解らないが。西洋でいう「絶対的他者としての神」という概念に近い。そんな、人間を超えた、聖なるものとしての何かを自覚していたように思う。

 いま、日本人がめちゃくちゃなのは、そんな永遠なる聖なる存在、自分たちよりはるかに大きな存在を忘れてしまったからではないだろうか。
 「 正義感 」 の根本は、そういう感情だと思う。そういう感情から正義感は生まれると思う。


また、「何かに導かれている」という感覚になることもある。信心深い人が、不幸があっても、神のお導きであると考えるのに近い。もちろん、最大限の努力をして、正義を貫いて、それでも初めの計画通りに行かない場合に、そう考えることがあるということで、何の努力もせず、ずるいことやごまかしをして、何とか不正がばれませんようにと邪念するのとは違う。まじめに真剣に生きていても、不幸なことは起こる。しかしその不幸を不幸と思わずに、神の計らいであると解釈するところに宗教性がある。これもあまり言いすぎると安易な神秘思想になってしまうから、この言葉だけをそのまま受け止めないで欲しい。要するに言いたいことは、どうしょもないことは多い、このどうしょもないことの真実を見抜くこと。このための努力が、哲学であり、宗教であろう。
posted by ta meta ta at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 偶成 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

情報の信憑性

このブログも、さんざん適当な個人的思い込みを書いてきた。

情報があふれるネットで、ガセネタも増える。

重要なのは、信憑性を見抜く眼であろう。


たとえば、大学の教授のサイトであるから、正しいとは限らない。二つの異なる学説があって、どちらが正しいのか学会でも決着が付いていないことでも、学者の個人的な思い入れで、自分の正しいと思う学説だけが正しいのだと主張されるであろう。学者としてはそれは正しい態度であっても、その学者のサイトを根拠に、その学説が正しいとして素人が騒ぎ立てるのは間違っている。まして素人のサイトは、さらに慎重に扱うべきだろう。


 たくさんの引用があるとか、たくさんの論文があるとかいうことも、信憑性には関係ない。長く定説とされ、たくさんの支持した学者が論文を書き、それに関連した引用が蓄積されるだけであり、その学説が正しいという根拠にはならない。間違った学説が、数百年正しいとされてきた事実は多い。
posted by ta meta ta at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブログのハードル

ブログやサイトに、閲覧者を限定しているものもある。

私の以前管理していたサイトも、閲覧者をパスワードを知る者だけに限定したことがある。
 そのパスワードは簡単に取得できるようにしたが、一段ハードルというか、敷居を作ってしまうと、とたんにアクセスが減ってしまう。
 自分の意見や疑問を公開して、たくさんの方からコメントをいただきたいという目的からネットを使うわけだから、アクセスを減らしてしまうことは、逆行している。
 ただでさえ、専門の知識を持っている碩学は、ネットに不慣れな場合が多い、敷居を高くして貴重な意見をいただけるチャンスをのがしてしまうことはない。

  ネットにアクセスしない学者や、ネットに上げていない貴重な情報は多い。どんなに情報社会が進んでも、本当に貴重な情報は、脚を運び人に会って収集しなければならない。
posted by ta meta ta at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

極めるほど、無言になる。

 私は、このブログで、さまざまなことを言い続けてきた。しかし、専門外のことを、素人が騒ぎ立てているだけの意見にしか過ぎない。素人だから、好き勝手なことを言える。素人だから、断定的なことが言える。

 そう、専門家になればなるほど、何もいえなくなる。

 それはどういう意味かというと、一般的に当たり前だと思われていることは、突き詰めると、実は根拠がないことが多い。専門家はその事態を知っている。だから、極めた人ほど、何も言えなくなるのである。

 結局人間は、その感覚器官で把握された事柄のみを情報源として、不完全な脳みそで推論しているに過ぎない。

 時間に関しても、一瞬遅れた時間を、現在だと思っているに過ぎない。本当の 「 いま 」は先験的であって人間には把握できない。
 有名なドラマーが、音を聞いていては一瞬遅れる、だから体でリズムを取らなければ同期できない。音を聞いてはいけないということを言っていた。
 色も、音も、人間が知覚できる範囲は狭い、そしてどれだけ忠実に認識してるかは解らない。


このブログの題名を 「タメタタフィシカ」としたのもそういう理由による。人間の考えることは、どんなに実証的であっても、所詮、頭の中の空想に過ぎない。
 客観的、合理的、理性的、という言葉たちを無造作に使う議論は、戯論である。



posted by ta meta ta at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする